飛騨・高山を起点に、様々な地域に利害・垣根を超え、共にイノベーションを起こしていく拠点となる学びの場をつくりたい
「故郷である飛騨・高山を起点に、様々な地域に利害・垣根を超え、共にイノベーションを起こしていく拠点となる学びの場をつくりたい」。
一般社団法人 飛驒高山大学設立基金の代表理事である井上 博成さんが、高校時代から抱き続けている夢です。
今、井上さんは、様々な人との出会いを通じて互いに「共鳴」しあいながら(仮称)Co-Innovation University(以下、CoIU)の設立に向け、歩みを進めています。
偶然にも故郷が同じである、当社代表取締役社長 CEOの北村 俊樹が、大学設立に着手した背景や、未来の教育に対する想いを伺いました。
CoIUとRISEの出会い
北村
本日は東京都千代田区「飛騨居酒屋 蔵助」が舞台です。
東京では珍しい地元飛騨高山の名産を扱ったお店でして、私たちと同じ故郷の方が頑張っている場所で対談したいとの想いから選びました。飛騨牛をはじめ、故郷の郷土料理を味わうことができます。
本日はよろしくお願いいたします。
井上
東京にもこういった飛騨のお店があるのは大変嬉しいですね。こちらこそ、よろしくお願いいたします。
北村
まず、私たちの出会いについて伺っていきたいと思います。地元が同じというだけでも親近感がわきますが、出身高校が同じで、在学のタイミングが被っていないのに担任の先生も同じだったのでびっくりしました。
井上
数多くの人がいるなかで、これだけ近いというのも珍しいですよね。今回、RISEさまからお問い合わせをいただいたことがきっかけで話が進んでいきましたが、どのような経緯でCoIUにたどりついたのでしょうか。
北村
私が地元の幼馴染と食事をしていた時に、地元に大学ができるらしいと聞き、すぐにインターネットで調べてCoIUについて知りました。まず、地元に大学ができるということがうれしかったですし、私たちが掲げる「PRODUCE NEXT」というミッションに近い理念をお持ちだと感じたので、すぐにご連絡しました。連絡を受け取ったときはどのようなお気持ちでしたか。
井上
率直にうれしかったですし、すぐにお会いしてみたいと思いました。ちょうど私たちも、設立に向けていろいろなプロジェクトが立ち上がっていて、そのマネジメントを任せられる人材を探していたところだったので、とても良いタイミングでした。
地元に「無いもの」をつくり上げたい
北村
井上さんは高校生の時から大学設立を考えていたそうですが、そのきっかけはどのようなものだったのですか?
井上
私は、飛騨には3つの「無い」が存在すると感じています。一つが「映画館」です。
実は、生まれ育った地域にあった映画館がスーパーになってしまって。
北村
私が高校を卒業するぐらいにはまだあったような気がするのですが、なくなってしまったのですね。
井上
そうなんです。だから、地域に映画館がなくなってしまって、住民の方々もいろんな思いを感じていると思います。
さらに2つ目は、「地域の森林が十分に生かし切れていない」という点です。
岐阜県高山市は木材が有名で、東京都と同じくらいの面積の森林を有する日本一の自治体です。飛騨の家具は全国的にも有名なんですが、資源が豊富にあるにもかかわらず、なぜか海外から木材を輸入して家具を作っているという、ある意味もったいない産業構造になっているんです。
そして、3つ目は「この地域には4年生大学がない」ということです。
人口統計を見ても、圧倒的に 19歳以降の人たちが県外に出てしまっている。同時に地域に高等教育機関がないということは、魅力ある産業づくりにも影響が出ると感じています。またこの偏った人口構造が加速してしまうのではという危機感もありました。
私自身、映画館、森林の利用、4年生大学の3つがない現状を「3無い」と定義しているのですが、この状況は多くの飛騨の方が感じていることではないかと思います。また、これらを解消することが地域の魅力づくりにつながるだろう、ということは高校生のうちからぼんやりと考えていました。
左:井上さん、右:北村 偶然にも二人は地元が同じで、高校の先輩・後輩です。
訪れた転機。まだ見ぬ「地域のチカラ」を活かしたい
北村
その後、東日本大震災を転機として道が大きく変わっていったそうですが、これまでの歩みからどのような変化が起きたのでしょうか。
井上
私は財政や金融を中心に学んでいて、中でも特にエネルギーや自然資本に興味を持っていました。その流れで、国交省か経産省で官僚になった後、政治家になり、その後大学設立までいきたいと思って勉強をしていたところ、東日本大震災が発生しました。
福島県の原発事故を目の当たりにし、政治の中枢から地方へトップダウンで物事をつくるプロセスが浮き彫りになりました。地方に莫大な交付金が与えられる一方、福島県で生産されたはずの電力は、そのほとんどが東京で使われるという経済構造は、当時官僚になることを夢見ていた私にとって衝撃的な事実でした。
そこで、将来設計を見直して地元へ帰ることにしたんです。
北村
私自身もそうでしたが、一度地元を出るとどうしてもほかの地域と比較してしまい、なかなか戻る決心がつかない人が多い印象です。地元に帰りたい、という思いは大学に進学された時からずっと抱いていたのでしょうか。
井上
私の父方である井上家は十何代と続く宮大工の家系でして、ずっと飛騨の木材にかかわってきていました。古くは飛騨の匠は橿原神宮や京都御所といった歴史的な建造物の建立にも参加していまして、それだけに木材や地元への愛着というのは潜在的に持っていたのかもしれません。
当初はまず、外の世界を見てからゆっくり帰ってこようと思っていましたので、そういう意味で東日本大震災をきっかけに流れが大きく変わったと感じています。
2014年大学院時代、電力自由化および配電網の再公有化、林業などの研究調査のためドイツを訪れました。
信念を形成した恩師の言葉と海外渡航
北村
大学で学ばれていたときに、恩師の方々から様々な助言をもらったそうですね。大学設立にあたり、どんな教えが生きているのでしょうか。
井上
3人の先生に「どうやったら大学をつくれますか」と質問したところ、三者三様の答えが返ってきました。
まず、池上先生(池上 惇 京都大学名誉教授)は理論 (研究)と 実践 (事業)を往復しなさいと助言をいただきました。この考え方は、私自身の軸にもなっていますし、CoIUの基本理念を考える上でも重要な教えだったと思っています。
次に、植田先生(植田 和弘 京都大学名誉教授)はまず地元でビジネスを展開してみたらどうかと仰って頂きました。植田先生は私の大学院修士時代の担当教官でして、文部科学省の調査など、年に何度も海外に渡航する機会をいただくことができました。海外、特にドイツ、スイス、オーストラリアでエネルギーや地域づくり、林業の視察を行ったときの経験は、私の考え方を大きく変える分岐点になりました。
最後に、諸富先生(諸富 徹 京都大学大学院経済学研究科 地球環境学堂 教授)からは、日本だけでなく海外へ視野を広げることの重要性や、様々な人との関わり合いを大切にすること、そして繰り返しにはなりますが、理論をしっかりやらなければならないという、理論と実践の狭間について教えていただきました。
北村
それぞれの先生の教えが、井上さんのその後の歩みを形づくっていて、今も脈々と受け継がれているのですね。海外渡航の経験について、ご自身に与えた影響というのは具体的にどのようなものでしたか。
井上
欧州、特にドイツでは、エネルギー生産を通じた地域経営・自治が成り立っているんです。農家のおじさんが自ら発電所を作って、年収が数千万円、というケースが普通にみられたのも印象的でした。
地方の課題の一つとして所得格差が挙げられると思いますが、一方で付加価値が高い仕事というのはかなり少ないのが現状です。その中で、ドイツの人たちは自分たちが持つ資源をうまく活用して自律分散型に生計を立てていた。エネルギーだけではなく林業でも同じようなことを体感しました。この姿を見たときに飛騨にも「可能性がある」と確信したんです。
2014年、ドイツの林業現場にて。付近をランニングしている市民の方がいます。日本では珍しい光景で、道がしっかり整備されていることを目の当たりにしました。
経済から教育へ。その違いと教育の可能性
北村
元々経済学を学ばれていたということで、大学を設立するにあたり分野を「教育」へ転換したことは大きな変化だったのではないでしょうか。
井上
確かに、大きな変化ではありました。一方で「人が困難だと思うことをやり切った先にいろいろなものが開けてくる」ということは常に意識をしていますし、大変やりがいがあります。
北村
地元でビジネスを興すことと、大学を設立することの違いはどんなところにあると思いますか。
井上
地域づくりにおいて、何か新しいことを始めようと思うと、これまで過ごしてきた環境が変わることを「快適な空間を侵される」と感じ、その抵抗が壁となって立ちはだかることがしばしばあります。
私自身、地元で事業を始めてみて、ビジネスであれば課題を把握しつつ本気でコミットすれば何とかなると思いました。
しかし、人については一筋縄ではいかないなと感じており、ここを打破するカギとして「人材の流動化」があると思っています。
東京などの大都市だと、当然のように流動化が激しいですが、地方にはそんなにありません。もし地方で人材が流動化すると、固定されたコミュニティを崩すきっかけになり、イノベーションにつながることもあるでしょう。大学は様々な地域から人が集まってくる学び舎ですから、この壁に立ち向かう力になるのではと思っています。
「越境性」とは場所も、自分もこえること
北村
全国に複数の拠点を設けて、様々な人材が場所を移しながら学び続けるスタイルはとても斬新ですよね。
井上
ありがとうございます。まだ構想段階ではありますが、CoIUでは「越境性」をテーマにしています。
越境には2種類あると思っていまして、まずは当然、場所を越えるということですね。飛騨にあるキャンパスだけでなく、全国の様々な拠点を活用していく。
もう一つは、自分自身を超えていくことです。外の世界から新たな視点を取り入れることで、自分がこれまで持っていた概念をより良い方向に超えていくということを意味します。このように、様々な地域と連携しつつ、自分自身をも超えていくという教育のスタイルは徐々に注目され始めていますが、具体的に実行しようと落とし込んでいるところはまだ少ない印象です。その分、チャレンジしがいがあるなと思っています。
新たに大学をつくる、というと「少子化の時代に作ってどうするんだ」とか「採算はとれるのか」とかいろいろなご心配の声をいただくのですが、それはどの産業でも共通だと私は思っています。教育に限らず、建設、製造業、小売…どんな産業でも社会から求められるものであれば生き残っていけると信じています。
若い世代の可能性を最大限に引き出すためには
北村
現時点で、CoIUに対する若い世代の反応についてはどのような手ごたえを感じていますか。
井上
現在、CoIUの拠点が置かれる予定地域を中心に高校生と対話する場を頂戴しています。その中で感じることは、社会課題に対して関心を持っていたり、何かしらアクションを起こしたい・更に起こしている高校生が増えているということです。実際に高校生と話をすると、ものすごく自由さを感じて。自分の気持ちに真っすぐ生きていきたいというか、自身の価値観をきちんと持っているんですね。ここにも時代の変化を感じています。
北村
私は海外の大学を卒業したのですが、日本では大学入試が一つゴールになっていて、人生の選択肢が自動的に狭まっている印象があります。
将来飛躍するポテンシャルを秘めた人というのは、大学入試以前のもっと若いうちから発掘できるはずなのに、今の社会や企業が提示する選択肢は極端に限られていて、可能性を見出すには不十分であるのが現状だと感じています。
CoIUは、学生にとって社会に出ていくまでの選択肢を多く提示し、間を繋ぐような場所になると思いますし、一緒に現状を打破したいと考える人々は多く存在すると思います。
特に企業は、早いうちに優秀な人を見つけ出さないと、競争に勝てなくなっていますから、大きな需要があると思います。
あなたにとってPRODUCE NEXTとは
井上
一般的に文明とは様々なことが起きた後に名付けられてきた歴史だったと思います。その中で、CoIUの学長候補である宮田さんとのお話の中で、「意図的に新しい文明を掴みにいくこと」について仰っていたところから、皆での議論を経てこの壮大な問いに至りました。
これまでの大学教育には、学業を修めた学生を社会に送り出すために、ある意味均等な学びを提供してきた側面もあったと思います。
これからの時代により強く求められるのは、1人ひとりの個性を尊重しつつ、強みは活かし弱みを補い合って「共鳴」していく未来を共につくることが求められていると感じています。より個の時代になる中で、一人ひとりが共鳴し合える社会・文明に教育という軸から寄与していきたいと考えています
【写真:CoIUのステートメント「いま、文明に問う。」】
北村
この流れは、コンサルティング業界にも当てはまると感じています。
1社がすべてを担うのではなく、業界、立場、規模を超えたチームを作っていくことが必要になっている。つまり、パートナーシップの質と量が問われている時代になりつつあるんですね。
そのなかで大切にしなければならない概念は、先ほど井上さんが仰っていた「共鳴」と、さらに「共感」「共創」なのだと考えています。
CoIUにおける、様々な拠点での取り組みはまさにこれらに当てはまりますよね。
井上
おっしゃる通りだと思います。異なる世界に足を踏み出すことにより、新たな価値観が生まれ、既存の価値観と融合することで、イノベーションの源泉が生まれる。「共感」「共鳴」「共創」の連続が、新しい時代を形づくっていくと思いますし、そういう世界の実現に少しでも貢献できればと感じています。
飛騨から第一歩で始まった私たちの目標は壮大な夢かもしれませんが、これからも一歩ずつではありますが、様々な地域の皆様とも共に着実に歩みを進めていきたいと感じています。
北村
私たちも、CoIUの成功に向けて皆さんと「共感」「共鳴」「共創」しながら、ご支援を続けてまいります。本日はありがとうございました。