“おもろい”ことに挑戦し、生体医工学で新しい時代を切り拓く Vol.1

インタビューの様子①
 
今回のNext Innovatorは、ムーンショット型研究開発事業に取り組まれている大阪大学データビリティフロンティア機構特任教授の中村 亨先生にお話を伺いました。中村先生は、生体医工学を専門とする研究者として国内外で活躍され、多様な分野で先進的な研究を展開してきました。
 
本インタビューでは、これまでのキャリアや専門分野である「生体医工学」のほか、現在取り組まれているムーンショット型研究開発事業について、その内容と社会展開に向けた課題に関しても詳しくお話を伺い、全2回のインタビュー記事をお送りします。
 
科学技術の未来を見据え、革新的な課題に挑む中村先生の思考と情熱にぜひ触れてください。
 

中村先生の軌跡 – 「おもろいこと」を原動力に、生体医工学で未来を切り拓く –

ライズ

本日は、貴重なお時間ありがとうございます。ムーンショットの研究者の方とお話しするのは初めてなので、少し緊張しているかもしれませんが、よろしくお願いします。
まずはご経歴を教えていただけますか?

中村

大阪大学の基礎工学研究科で学びました。専門は「生体医工学」で、端的に言えば工学を生体にどうやって生かすかを研究する分野です。
次に、東京大学に出入りをしつつ、大阪大学の臨床医工学融合研究教育センターという、新しく大阪大学にできた、医工連携のセンターの初期スタッフとして着任しました。

それから、アメリカのニュージャージー医科歯科大学に1年半留学して、放射線科とニューロサイエンス(神経科学)科でfMRIなどの研究を行い、その後はしばらく共同研究させていただいた東京大学で8年ほど研究をしました。その間には、科学技術振興機構(JST)の「さきがけ」研究者としても研究していました。
そして、大阪大学の豊中キャンパスに行くこととなるのですが、ここで「なぜ大阪大学なのか」という話をさせてください。

大阪大学は、産学連携の数が日本一多い大学です。大学設立の歴史自体が産学連携に由来するというのも大きな理由かもしれません。
東京大学と京都大学ができたあと、次は大阪に大学を建てようとなったのですが、戦争があったこともあり資金が不足していました。そのときに大阪の組合が半分お金を出すと提案してくれたのです。当時大学は国のお金で建てなければならない決まりがあったのですが、背に腹は代えられないということで、国が初めて特例を認め、半分は民間からお金が出て設立されたのが大阪大学なのです。
当時の商人たちはビジネスに特化した人材を作れと要求していたわけではなく、大阪における学びの環境を活発にしてほしいと願って出資してくれました。
そういった経緯もあり、大阪大学は企業との共同研究講座が日本一多いのです。

一方で、大阪大学のキャンパスのうち、豊中キャンパスには今まで産学連携の共同研究室がなかったので、初めて立ち上げる時に私も参加させていただきました。考えてみれば、何か立ち上がるときはいつも声を掛けられているような気がしますね(笑)それをきっかけに大阪大学へ戻ってきました。講座自体は終了したので、今は吹田キャンパスにあるデータビリティフロンティア機構に所属しています。

ライズ

幅広くご活躍されていますね。興味深いキーワードがいくつかあったので、順にお聞かせください。まず、先生が専攻されていた「生体医工学」とは、一般的に聞きなれない言葉ですが、どのような分野なのでしょうか?

中村

一言で言うのはかなり難しいのですが、「生体医工学」という名の通り、生物・医学・工学の三つが重なった学術横断/融合の分野であり、いわゆる学際的な分野ですね。昔は「医用工学」、つまり医学用の工学と言われていました。海外では「バイオメディカルエンジニアリング」と言われていて、工学の中でも特に評価の高い分野です。そのため、ダブルスタンダードといって、医学または工学を修めてからもう片方を学ぶ、あるいは法学や経済など別な分野を学んでから学び直して、博士号を二つ所有している方もたくさんいます。
日本は学問の分野同士があまり融和していないというのもあり、残念ながらまだ花が咲いていない分野です。

ライズ

なるほど、すごく重要ですが、難しそうな分野ですね。fMRIというと、脳の機能を理解するための機器かと思いますが、これも人間の仕組み・構造を理解するための研究だったのでしょうか?

中村

そうですね、必ずしも医学用の学問ではないですね。私たちは基礎的な部分を大切にしていまして、例えば身体はどのように制御されていて、どういう風に機能が発現しているのかといったようなところに興味があります。ですから、必ずしも医療分野に限った社会展開を目指しているわけではないですね。

ライズ

なるほど、ありがとうございます。理解が深まりました。
続いて科学技術振興機構の「さきがけ」について伺わせてください。若手研究者にとっては登竜門のようなプロジェクトだと聞いたことがあるのですが、実際のプロジェクト内容と、その中で先生が取り組んでいた研究について教えてください。

中村

日本政府は、時代の変化に応じて特に力を入れるべき学問分野を選び、それに関する政策を立案しています。当然それには予算が付くわけで、研究費用として活用します。

例えば、同じくJSTのプロジェクトである「CREST(クレスト)」は、国が定めた戦略目標を達成するために、今後の科学技術イノベーションに貢献する研究成果を創出することを目的とした、チーム型研究を指します。「さきがけ」はこれに続くプロジェクトで、若手研究者が所属研究室から独立して研究を行うものです。
私が担当した領域は「恒常性」、ホメオスタシスとかホメオダイナミクスと言われる、人の生体機能がどういうふうに安定性を保っているのかという分野の研究でした。

先ほど申し上げた通り、私のバックグランドが生体の機能や発現・制御の方法についてであり、どのように健康な状態の安定性を高め維持しているのかという研究をしていましたので、ちょうどマッチして採択に至ったのです。
具体的には、精神疾患の状態をウェアラブル端末などで計測される生体情報から客観的に評価しましょうという研究を提案しました。精神疾患というのは、発症時に心の恒常性が破綻している状態ですので、そういった精神疾患を対象とした心の恒常性をテーマに研究していました。

ライズ

これまでのお話を伺っていると、中村先生は国内外の様々な大学で幅広い分野で研究なさっていて、若手の登竜門の「さきがけ」や「ムーンショット」でのご活躍や、新しい研究室の立ち上げにも関わるなど、大変精力的に活動されてきたことがわかります。こういった活動の原動力はどこにあるとお考えですか?

中村

私の卒業した学科は「 おもろいことをやる」というのをモットーにしていました。
そういった教育を受けてきたこともあり、面白いことがあったらやっぱりやってみたいという意欲は常に持っているように感じます。「生体機能の恒常性維持」というテーマ自体は一貫性がありますけれど、ターゲットが異なればそれぞれに面白さがあるので、様々な立場・領域で幅広く研究を進める、ということを継続していますね。

ムーンショット研究の挑戦:「感情」を客観的に測定し、破壊的なイノベーションを生み出す研究とは?

インタビューの様子②

ライズ

次は、最近特に力を入れている研究テーマについて教えてください。

中村

今一番力を入れているテーマは「ムーンショット」です。プロジェクトの内容を簡単に説明すると、日常生活における人間の「感情」を生体情報に基づいて客観的に推定する技術を開発する研究です。
具体的には、ウェアラブルデバイスを使って、日常生活における生体信号、例えばわずかな身体の動きや、心臓の拍動リズムの変化、あるいは体温、声といった情報を記録して、そのときに感じているいくつかの感情状態を推定します。この技術により、ゆくゆくは今の状態が好調か不調かを判断したり、病気の予兆を見つけたりといったことが実現できるよう、研究を進めています。

ライズ

内閣府が主導で行う研究かつムーンショットいうと、採択されるハードルがとても高い印象があるのですが、今回先生の研究が採択された理由はどのようにお考えですか?

中村

まず、長年にわたり、バイオメディカルエンジニアとして精神疾患という非常に特殊な分野に取り組み、かなりユニークな研究をしてきたという実績が評価されたと思います。感情推定というのは世界でもポピュラーな研究のひとつであり、その中に「アフェクティブ・コンピューティング(Affective Computing)」という研究分野があります。コンピューターに感情を理解させるところから始まった研究で、今でも世界中で多くの研究者が精力的に研究を続けています。

私たちの研究が、その分野と何が違うか。それは、「客観性」を追求するテーマを出したことです。対象は人だけではなく、動物も含めています。私たちは長年、動物の精神疾患モデルが何であるかについて疑問を持ち続けてきたのですが、動物も鬱や不安症のモデルが作れるとわかりました。それも、生物学的根拠のある状態で、です。

例えば、特定の動物から得られた生体信号が、もともと鬱のマウスやラットから取られたデータですよという形で、ある意味ラベルをつけることができるのです。人間の場合は一口に鬱だと言っても、あくまで主観的な評価であり、客観的な評価はまだあまりなされていません。

ここに客観性を持った動物のデータを融合させると、ある意味種族の垣根を超えた感情推定器を作ることになるわけです。これが実現すれば、例えば失感情症の方や認知症の方、あるいはお子さんで、感情を言語的には上手く表出できない方々の感情状態を、生体信号から客観的に評価できるようになります。
以上の内容が、破壊的なイノベーションを生み出す可能性を秘めたムーンショット研究として評価されたのではと思います。

ライズ

「感情」はやはり主観的なものと捉えられがちですよね。しかし先生の場合は他の動物から得られた客観的な情報をもとに人間の精神状態を推測できるように挑戦されているのですね。

中村

はい。一方で、この研究について話をすると「動物の感情がわかるのでは」と聞かれることが多いです。もちろんそういった方向性はなきにしもあらずですが、我々はあくまでも人の感情を客観的に評価して理解するために動物の情動状態をデータとして取っているのです。

ライズ

素人からすると、動物の感情がわかるというのも魅力的ですが、それが主目的ではないのですね。では、先生の研究の進捗と、他の類似研究との違いを教えてもらえますか?

中村

このプロジェクトは開始から2年ほど経過したところです。人の感情の推定に関しては、ウェアラブルデバイスで測定できる中でも非常に微細な動きを1時間くらい取って、抑うつの高い/低いという状態を70%ぐらいの精度で当てられるようになりました。音声を用いた場合でも、9つぐらいの感情をそれなりの精度で推定できるレベルまで来ています。

例えば、先ほど申し上げたアフェクティブ・コンピューティングの技術は、どちらかというと実験室で構築されることが多いのです。実験室の中というのは制御された環境下にあり、そこで取られた生体信号にはノイズが入らないため、ある意味推定しやすい状況と言えます。ただ、そこで構築された技術をいざ現場に持っていっても、日常生活の中で使える技術かどうかはまた別の話になってしまいます。
実際に外挿性がないということが昔から言われているため、レビュー論文では「アフェクティブ・コンピューティングの分野でも現場で実際に捉えたデータに基づいて感情推定を行うべきだ」という主張がなされています。

私たちは以前から対象を「日常生活下」としているため、日常生活の中での生体信号や感情状態を適切に計測するためのノウハウを蓄積し、解析用のデータセットを構築してきています。この点が大きな違いであり、特徴的なところだと思います 。

― 中村 亨(なかむら とおる)特任教授プロフィール ―
2005年 大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了[博士(工学)]。
大阪大学臨床医工学融合研究教育センター、ニュージャージー医科歯科大学、東京大学大学院教育学研究科、JSTさきがけ研究員、大阪大学基礎工学研究科などを経て、現在、大阪大学データビリティフロンティア機構 特任教授。
専門は、生体情報工学、健康情報学。生体信号情報の解析と健康・医療分野への応用、生体システムの動的恒常性機序の解明に従事。近年は、内閣府ムーンショット型研究開発制度(目標9)のプロジェクトマネージャーとして、AIoT(AI×IoT)に基づく日常生活下での感情状態把握および好不調の検知技術の開発に従事。

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