“おもろい”ことに挑戦し、生体医工学で新しい時代を切り拓く Vol.2
今回のNext Innovatorは、ムーンショット型研究開発事業に取り組まれている大阪大学データビリティフロンティア機構特任教授の中村 亨先生にお話を伺いました。中村先生は、生体医工学を専門とする研究者として国内外で活躍され、多様な分野で先進的な研究を展開してきました。
本インタビューでは、これまでのキャリアや専門分野である「生体医工学」のほか、現在取り組まれているムーンショット型研究開発事業について、その内容と社会展開に向けた課題に関しても詳しくお話を伺い、全2回のインタビュー記事をお送りします。
科学技術の未来を見据え、革新的な課題に挑む中村先生の思考と情熱にぜひ触れてください。
「感情をデータで読み解く」研究から創造したい未来 -社会実装に向けて立ちはだかる壁をどのように乗り越えるか-
前回は先生の過去と現在についてお話を伺ってきました。今回は是非、将来展望を伺いたいと思います。研究を進めた結果、どのような未来を創造したいとお考えですか?
まずは主観に依らない客観的な感情推定を実現したいです。ムーンショット自体はもうじき一旦終わるわけですけれども、ここ1年で出来上がるかどうかはまた別の話ですから、技術開発の延長としてこれからも実現を目指していきたいです。
次に、心身の状態がわかれば病気になる途中の段階もわかる、いわゆる「未病」の考え方をもって、リスクが高まっている状態を検知し回避するような技術開発を実現することと、その技術が一般的に利用されている社会を思い描いていますね。
そして、今後はリアルタイムでその人の感情を推定し、世界中にいる人達の感情がクラウド上に表現される時代が来るのではないかと思っています。私自身はこれを「心のメタバース」と表現しています。
客観的な感情推定は、非常に意義がありますよね。それが実現すれば、精神疾患の診断精度や治療の効果測定に向上することも貢献できますし、先生のおっしゃる「未病」にもつながるかと思います。
ちなみに、素人からすると「未病」の検知は非常に理想的ですが、何年くらいで実現できそうとお考えですか?
未病の検知という意味では、現在東大の合原先生が別なムーンショットプロジェクトで研究なさっています。遺伝子の発現パターンを見る必要がありますけれども、ある種のがんに関しては、ある意味未病な状態と言いますか、悪化する可能性があるところを検知するアルゴリズムを既に作っていらっしゃるのです。
本来、病気になる瞬間のデータというは山ほど存在しているはずですけれども、私たちが対象としている精神疾患はやはり発症のデータが取得しづらいので、その点が研究のネックになっています。一方で、例えば躁鬱病というのは、躁と鬱という二つの状態を繰り返す病気ですけれども、状態が遷移する瞬間の検知はある程度可能ではないかという論文を執筆したことがあります。
また、がんについてはこれまでに数々の症例があり、ある程度技術が確立しつつあるので、数年以内の技術化、あるいは近い将来に実用化が可能となるかもしれませんね。
がんや双極性障害などのリスクが発生する前に予兆を検知し、事前に対策が打てるようになるわけですね!がんも精神疾患も、発症してからいかに早期発見するかが重視されている印象があります。よって「未病の段階で対策」が可能になれば、健康やWell-beingに対する常識が変わっていきそうですね。
そうですね、まさに常識を変えたいと思っています。ただ、これらはあくまでも「研究レベル」の技術ですので、例えばお医者さんがこの技術をもとに薬の処方や治療を行うというのは、今の医療体系ではできない話です。その状況も含めて世の中を変えていきたいですね。
また、未病が把握できたとしても、それを当事者に伝えるかどうかの判断には倫理的な問題があります。もちろん、医者ではない人間が疾患の診断に係ることを進言してはならないということは法律で決まっているわけですが、未病は病気の診断ではないので、現時点でそれについて触れて良いか否かの法整備はまだなされていません。そういった複雑な問題を抱えている側面もあります。
なるほど。常識を変えていくためには研究以外にも着手すべきことがたくさんあるということですね。先生が考えておられる理想的な未来を創造するうえで、法改正以外にどんな課題がありますか?
どのようなゴール設定するかによって異なるので、なかなかお答えしづらいですけれども、どの研究テーマあるいはどこの領域に展開していくかという点についてはELSI(エルシ―)の問題が共通して関わってきますので、いかにそれを解決するかという取り組みを研究と併せてやっていかなければならないと感じています。
具体的には、小さなPoC(概念実証)を積み重ねてエビデンスを出し、そこから規模をどんどん大きくして、少しずつ社会に受け入れていただき、ELSIを解決していくっていうプロセスがどの研究テーマにも必要だと思っています。
今おっしゃられたELSI(エルシ―)という言葉は一般的に聞きなれないかと思いますが、どういう概念でしょうか?
倫理的・法的・社会的課題(Ethical, Legal and Social Issues)の頭文字をとったもので、 新規科学技術を研究開発し、社会実装する際に生じうる、技術的課題以外のあらゆる課題を含みます。基本的に私たちが研究を始めるときは倫理委員会に認めてもらってから着手しますし、個人情報など様々な面で法的な手続きを行っているわけですが、それだけでは解決し得ないことが「ELSI」ですね。
例えば、脳の活動からその人の考えていることや見ているものを推定するという技術もある程度存在するのですが、気持ち悪いとか怖いと感じる人が多くいるがゆえに社会で受け入れられず、展開できないわけです。ですから、倫理と法律だけでなく社会も含めて問題を解決することが必要ということですね。
企業と研究者をマッチングさせる仕組みを、産学両方に浸透させることが必要不可欠
PoCは社会を含めて問題を解決する必要があるからこそ、極めて重要なのですね。では、PoCを加速させるためにはどのような課題があるのでしょうか?
やはり研究者だけでは限界が出てきます。PoCは言い換えれば技術を社会に埋め込んでいく作業ですから、社会側の協力がないと実行できません。ですから、学生を使った実験室での実験にとどまらず、研究分野に関連する企業や自治体の方々などに協力を仰ぐ必要があります。
技術の押し付けのようなやり方では到底受け入れていただけないので、丁寧に説明を行い、少しずつ理解者を開拓していかなければなりません。そこから突破口を見つけて、少しずつ大きくなっていくのが理想ですが、システマティックにはできないので、手探りでやっていくしかないですね。
手探り、といいますと具体的にはどのようなことでしょうか?
やはり企業側のニーズと研究者側のニーズがマッチしないとPOCは生まれませんので、マッチさせる仕組みを作ることが大前提だと思います。大学には産学連携の組織があって、実際に企業を紹介していただくこともありますけれども、マッチングするだけにとどまってしまったり、企業側がどこに声をかけていいのかよくわかっていなかったりというケースもあるようです。
なので、企業と研究者をマッチングさせるプラットフォームのようなものが、産学両方の領域に浸透していかないと、PoCのきっかけすら生まれないのではと思いますね。
確かに産学連携が盛んなアメリカ・ドイツ・イスラエルなどと比べると、日本は仕組みの整備が追い付いていない印象がありますね。一方で、先生が冒頭おっしゃっていた通り、大阪大学は日本で初めて産と学で設立した大学ということですが、今後大阪大学や日本の産学連携へ期待することがあれば教えてください。
マッチングの仕組みは大学に存在していますけれども、マッチした企業と一緒に事業化し、社会に展開していくのかっていうところの支援までは十分に手が行き届いていないのが現状です。マッチングすること自体はゴールではなく、一緒に研究を進め、普及できるような道筋が立って、事業として財務的に回っていく状況を作ることが不可欠です。これについては、まだ仕組みが盤石ではないので、例えばPOCで協力してくださった企業であったり、第三者を含めて参加していただいて、社会実装を進めていくことが求められていると思います。
ありがとうございました。確かに、マッチングだけではなく、そこでマッチした取り組みを成功させるところまで伴走させる仕組みも必要ですね。そこは弊社のようなコンサルティングファームも貢献できる領域かと思います。
さて、そろそろクロージングですが、これから研究を志す学生や若手研究者、若手社会人に対してぜひメッセージをお願いします。
やっぱり今は先が予測できない激動の時代なので、今まで蓄積してきた技術がAIに取って代わったり、昨日は大企業だったところが、次の日には潰れてしまったりということが起こっても不思議ではありません。ですから、この時代を生き抜く力をつけてほしいと思います。少なくとも、既存の枠組みの中でぬくぬくと過ごせる時代はもう終わっていて、使い古された言葉で言うと「レジリエンス」をきちんと身に付けていかなければなりません。一筋縄ではいかないことも多いですが、ぜひがんばってほしいですね。
では最後に、あなたにとってPRODUCE NEXTとは?
「“おもろい”ことに挑戦」
― 中村 亨(なかむら とおる)特任教授プロフィール ―
2005年 大阪大学大学院基礎工学研究科博士課程修了[博士(工学)]。
大阪大学臨床医工学融合研究教育センター、ニュージャージー医科歯科大学、東京大学大学院教育学研究科、JSTさきがけ研究員、大阪大学基礎工学研究科などを経て、現在、大阪大学データビリティフロンティア機構 特任教授。
専門は、生体情報工学、健康情報学。生体信号情報の解析と健康・医療分野への応用、生体システムの動的恒常性機序の解明に従事。近年は、内閣府ムーンショット型研究開発制度(目標9)のプロジェクトマネージャーとして、AIoT(AI×IoT)に基づく日常生活下での感情状態把握および好不調の検知技術の開発に従事。