RISE TALK③【株式会社Recursive】ヘルスケア分野におけるAI活用とその未来像
近年、がんや難病、希少疾患といったスペシャリティケア医薬品の開発は難易度が高く、国内製薬業界は厳しい状況に直面しています。しかし、AIやデジタル技術を活用してこの困難を打破しようとする動きも見られます。今回は、株式会社Recursive(リカーシブ)の共同創業者 兼 CEO のティアゴ・ラマル氏とセールスディレクターの湯山剛正氏に、ヘルスケア分野におけるAIの活用や未来像についてお話を伺いました。
■新薬開発の高度化・効率化
医薬品研究開発は低成功率・長期間・高額投資が今や当たり前となっており、製薬会社は新しい技術やアプローチを模索しています。創薬領域、特に、製薬会社が力を入れている難病やがんの医薬品開発と親和性の高いテクノロジーやその活用動向を教えてください。
株式会社Recursive 共同創業者 兼 CEO ティアゴ・ラマル氏
私たちは、「in silico」ですべての生物学的シミュレーションを可能にしたいと考えています。これにより、現実世界の生物にとって、有効な化合物を予測し、シミュレーションできるようになると考えていますし、新薬開発においても画期的な進展をもたらすでしょう。道のりは長いですが、目標達成に向かって歩みを進めています。
この取り組みはGoogleのDeepMindが開発したAlphaFoldが進化したことから始まりました。6年前、私はその場に立ち会ってこのモデルが改良される様子を目の当たりにしました。
特に注目すべきは、遺伝子配列から蛋白質の構造を同定するアプローチです。これまでは大量の遺伝子配列データが存在する一方で、それに対応する蛋白質の構造は未解明でした。遺伝子の配列情報を基に対応する蛋白質の構造を予測するプログラムを開発することで、研究の進展を大幅に加速できると考えたのです。
ただし、細胞内では蛋白質だけでなく、脂質や低分子との相互作用も重要です。AlphaFoldの進化に伴い、低分子と蛋白質がどの結合部位で強い親和性を持つのかを解明する研究も進められました。
今では、薬物同士の相互作用を動的にシミュレーションすることが可能になっています。次のステップは、AlphaFold3を使って仮説を立て、検証することです。その結果に基づいて化合物を正確に特定できるように、モデルをさらにトレーニングして精度を向上させていきます。
薬物相互作用のシミュレーションでは、データの質と量が結果に大きく影響すると思いますが、分子生物学的データ以外にどのようなデータが予測精度を向上させるのでしょうか?
私たちのクライアントの多くはまだデータ収集が十分に行われていないため、どのようなデータであったとしても、研究開発にはプラスになると考えています。
また、これまで実験結果は主に紙媒体で記録されているうえ、非構造化されていたため、情報を抽出するのに手間がかかっていました。現在は大規模言語モデル(LLM)を活用して、非構造化データを構造化する試みが進んでおり、データの使いやすさが向上し、迅速な分析が可能となっています。
ただ、分子生物学の研究分野では標準的なデータセットが確立されていないため、研究者は想像力を駆使してデータを組み合わせる必要があります。例えば、蛍光イメージングやマススペクトロメトリーなどの測定機器は存在しますが、研究者が自らサンプルを観察し、データを記録しているのが実情です。もし、これらの操作、データ収集を自動化することができれば、研究がかなり加速すると期待できます。
Recursive様にはZenithを用いた製剤処方開発を最適化するプロジェクトの実績があるそうですね。
Zenithは3つのステップのアルゴリズムを採用していて、第1段階では、研究論文や特許などの非構造化データから構造化された情報を生成します。このプロセスでは、LLMを用いて、活性化合物やその特性などを抽出します。
第2段階では深層学習モデルを活用して、活性化合物の安定性などの特性を分析します。精度はあまり高くないので、簡易シミュレーションとして理解いただければよいと思います。
第3段階では、得られたモデルを駆使して、遺伝子情報など他の情報を用いたどの組み合わせが最も効果的な特性になるかを見出していきます。従来は、1つの活性化合物をもとに溶剤などの選定を行い、徐々に候補を絞り込む方法が一般的でしたが、今後は特定の溶剤に注目してより深く分析するアプローチが可能になります。
つまり、アイデアを生み出す段階でシミュレーションが可能になり、効率的かつ精密な選定が実現するため、研究のスピードと精度の向上が期待できます。
将来的にはこのシミュレーションの精度向上プロセス全体を自動化したいと思っています。
■医師起点のプロモーション体制構築
製薬会社のプロモーションにおけるAI活用について具体例を教えてください。
株式会社Recursiveセールスディレクター 湯山剛正氏
活用例をご紹介します。
AI技術の進化は、製薬会社のプロモーション、営業やマーケティング活動において革新的な変化をもたらしています。特に、AIを活用した売上データや競合データの分析は、顧客理解を深める重要な手段となっており、製薬会社は医療従事者や医療機関に対する提案の適切なタイミングを見極め、訪問計画を最適化することが可能となりました。このデータドリブンなアプローチは、営業活動の精度と効率を大幅に向上させ、医薬品の普及を促進しています。
次に、自動化の面では、AIを活用した問い合わせ対応の自動化が進展しています。これにより、従来は人手が必要だった医療従事者からの問い合わせ対応が効率化され、営業担当者はより戦略的な業務に集中できるようになりました。また、複雑な会話が求められるアウトバウンド営業の自動化に対するニーズも高まっており、AIがその解決策として注目されています。これにより、営業チームはより多くの医療機関にアプローチすることが可能となり、リーチの拡大が期待されています。
さらに、効率化の観点からは、顧客ごとにカスタマイズされたプロモーション戦略の立案が求められています。AIは医療従事者の行動データをリアルタイムで分析し、トレンドや購買履歴を予測することで、マーケティング戦略の最適化を支援しています。これにより、よりパーソナライズされたアプローチが可能となり、医療従事者の満足度の向上につながっています。
このように、AIは製薬会社のプロモーション活動だけに留まらず、営業やマーケティングの両面において大きな変革をもたらし、不可欠なツールとなりつつあり、競争力の強化にも寄与する不可欠なツールとなりつつあります。今後もAI技術の進化に伴い、さらなる活用方法が模索されることでしょう。
特にパーソナライズドマーケティングは、非常に高度なテクニカルソリューションであり、医師をはじめとする専門家の間でも多くの疑問が出てくるでしょう。そこで、LLMを活用したインタラクティブなチャットボットを導入することで、迅速に情報を提供し、医師が疑問を解消できるようサポートすることが可能です。
顧客のデータのリアルタイム分析を実現する際の課題を教えてください。
最も難しい課題はデータ収集だと思います。顧客の行動を反映したチャンネルが必要不可欠なのですが、多くの場合はプロバイダーによってロックされています。価値の高い情報ゆえ、契約を結び取得することは非常に難しいのが現実です。このため、データの取得とそのためのコストは大きな課題となっています。
■リアルワールドデータをはじめとするビッグデータの利活用
最近、製薬業界ではリアルワールドデータ(RWD)の利活用が注目されています。将来、RWDとAIを使ってどのような発展が期待できるか教えてください
現在、ヘルスケア業界が直面している課題の一つは、新薬開発の承認プロセスの遅さですが、テクノロジーの導入によって変革が期待されています。
ただ、データのトラッキングは未だに大きな課題です。書式へ記入する手間があるため、データ収集が効率的に行われないことが多いのです。現在は大規模言語モデル(LLM)をはじめ、テキスト、画像、動画、センサー情報、臨床試験結果などを統合した有用なデータベースが登場していますが、政府による規制が敷かれているため、今後試験結果が有効と認められれば、大きく進展していくと考えています。
また、データのトレーサビリティも課題のひとつです。通常、医療データの収集は、患者が記入するアンケートによって行われますが、これによりデータの入力エラーや欠損データが生じる可能性があります。そのため、トレーニングデータの正確性を確保するのが難しくなることもあります。
しかし、これらの課題は今後、製薬業界 で解決できると考えており、5~10年の間に進展が見込まれると思っています。
さらに、今後は、大規模なデータセットの利用によって、個別化された治療計画の実現を期待しています。例えば、特定の遺伝子情報に基づいてどのような疾患や治療のパターンが存在するかを把握し、個別の治療計画を立案することが可能になります。すでに小規模なデータでの試みは行われており、さらなる進展を期待しています。
医療データはプライバシーの問題がしばしば議論されます。ここで鍵となるのは、匿名化技術やデータガバナンスの強化と考えています。AI業界を含め、これらの課題に対してどのような取り組みが進められているか教えてください。
ディファレンシャルプライバシーと呼ばれる手法が注目されています。この技術により、モデルのトレーニングに使用されたデータが漏えいするリスクを低減することできます。
しかし、この技術では従来のモデルと同等の精度を達成するのは難易度が高い傾向があります。
ですので、堅実なサイバーセキュリティ対策を講じ、責任あるデータガバナンスを確立することが現時点で最良のアプローチ方法です。製薬会社や大手企業が、さらにセキュリティを向上させるためには、アクセスコントロールやセキュリティポリシーの運用状況など、改善の余地がまだ多くあります。
さらに、データセットを使用してモデルをトレーニングする際のバイアス問題も見逃せません。バイアスが存在するかどうかを検出する手法を開発しているスタートアップ企業もあり、このような技術も医療業界を含む様々な分野に応用できる可能性があります。
個別化医療の提供には、大規模なデータセットが必要とのことですが、将来的にこれらが十分に入手可能になると、Recursive様が持つAI技術は、個別化医療の提供など医療の質を向上させるための強力なツールとなるでしょうか?
私たちは個別化医療の分野でも重要な役割を果たせると考えています。完全な個別化にはまだ時間がかかるものの、確実に一歩ずつ進めながら、成長を目指すことができるでしょう。
現時点ですでに小規模なデータとLLMを活用してパーソナライズされた医療システムがあります。研究論文をもとに最も有効な治療計画を作成することができるというものです。さらに、LLMを活用して患者のプロファイルを作成し、得られた研究結果を参考にしながら最適な治療計画を特定していくことが、個別化医療の第一歩として期待されています。
長期的には、実際に患者へ投薬したデータをZenithなどの最適化技術で分析することで、他の投薬が患者の改善に寄与するかどうかを予測できるようになります。もしこれが実現すれば、研究論文に依存する必要がなくなり、個別データに基づいたより精度の高い医療サービスの提供が可能になるでしょう。
■治験関連文書作成のAI活用
治験文書の作成にAIを活用することについてどのようにお考えですか。
現行のテクノロジーを活用することで最も実現可能性が高いのは、治験文書作成へのLLM活用だと思います。
治験領域ではありませんが、教育関連のコンテンツ制作に関するプロジェクト事例があります。非教育的な技術文書を基に教育的なコンテンツを生成した事例で、例えばスキンケアに関するマニュアルや使用説明書、禁忌情報などからトレーニングマニュアルを作成するという取り組みです。
このアプローチは、治験文書の作成にも応用できると考えています。技術的な仕様や関連文書を基にLLMを利用すれば、高精度な文章を英語と日本語の両方で生成することが可能です。
私自身、日本語を話せないため、LLMを使って日本語の提案書を作成した経験があります。英語で入力し、その結果を日本語の提案書として出力するという方法で、精度の高い成果物を作成することができました。
Recursive様と共に、今後も製薬会社、ヘルスケア業界の方々の課題を解決していきたいと考えておりますので引き続きコラボレーションをよろしくお願いいたします。本日はありがとうございました。
■自己紹介
ティアゴ
株式会社Recursive 共同創業者 兼 CEO
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘンにて、理論/数理物理学 修士号、生物物理学 博士号を取得。博士課程では、物理学を分子生物学にどのように応用できるかを研究。
卒業後、Google DeepMindに入社。シニアリサーチエンジニアとして、強化学習、予測モデル、自己管理型学習など、最先端プロジェクトに従事。その後、多国籍AIスタートアップ、コージェントラボにリードリサーチサイエンティストとして入社し、来日。2020年に株式会社Recursiveを共同創業し代表取締役に就任。
湯山
株式会社Recursiveセールスディレクター
日本オラクルにて、中堅・大手企業の営業組織の変革とマーケティング活動の運用改善を通じて、デジタルトランスフォーメーションの推進に尽力し、多くの企業のビジネス成長を支援。
その後、シスコシステムズ日本法人とセールスフォース・ジャパンではアカウント営業としてエンタープライズ企業を担当し、あらゆるITソリューションを活用した業務プロセスや営業活動の最適化や顧客エンゲージメントの向上などに貢献。2024年3月からRecursiveに参画。
竹口 修
株式会社ライズ・コンサルティング・グループ パートナー
総合商社、外資系ヘルスケア企業、外資系製薬企業でマーケティング職を経験後、コンサルティング業界へ転身。
PwC Strategy&、EYストラテジー・アンド・コンサルティング、ローランド・ベルガーなどで長年にわたり製薬業界に特化したコンサルティングに従事したのち、ライズ・コンサルティング・グループに参画。製薬企業向けに全社戦略、マーケティング戦略、オペレーション領域など幅広いプロジェクトをリード。特にマーケティングおよびコマーシャル領域における専門性を有する。
塚原 淳
株式会社ライズ・コンサルティング・グループ マネージャー
分子生物学の研究により博士号取得後、フューチャーアーキテクトを経て、ライズ・コンサルティング・グループに参画。
IT/DX企画、業務プロセス改革、大規模システム開発などを支援。業務IT系プロジェクトにおける上流から下流までの多くのPM/PMO経験を有する。